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マーガレット・アトウッド『侍女の物語』斎藤英治訳、ハヤカワ文庫、2001年

1985年に世界的なベストセラーとなり、アーサー・C・クラーク賞などを受賞した。映画やドラマにもなり、トランプ政権の誕生にともなって再び注目されてきた。Qアノンなどが話題になるたびに、新聞記事などでも盛んに取り上げられたので知った。アメリカの議会議事堂が襲撃されるというクーデタによって、アメリカの一部がキリスト教原理主義の軍事的神権国家、〈ギレアデ共和国〉となった。ギレアデは周囲と戦争し、国内では厳格な宗教戒律に基づく位階制度を敷いた。2021年1月6日の議会議事堂のクーデタ未遂で再び脚光を浴びた。

 

マーガレット・アトウッド『誓願』早川書店、2020年

『侍女の物語』から35年を経て書かれた続編で、ブッカー賞を受賞している。前作が、1人の侍女の語りで構成されたのに対し、本作は3人の視点から物語が描かれる。ここで描かれるキリスト教原理主義勢力の支配体制は、いわばイスラム原理主義や北朝鮮の政治体制とほぼ同じものである。つまりアメリカの戦後の対外的な介入政策が直接的もしくは間接的にその成立に関わった歪んだ政治体制が、アメリカそのもののうえに築き上げられたという皮肉な構図を描いている。しかもその素材となるものはすぐれてアメリカ自身のものである。3人の物語が結びついて展開されるクライマックスはスリリングで、エンターテインメントとしては前作を上回る。

柳美里『JR上野駅公園口』河出書房新社、2014年

登場人物の年回りが私自身や私の親たちと似ている。昭和の出稼ぎ労働の物語であるが、現在の貧困の問題とも結びつけた味わい深い作品。

ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』立木勝訳、みすず書房、2019年

農耕の開始から約3000年前の国家の形成まで、ほぼ4000年のあいだ辺境の人々は国家の形成に抵抗し、ほんの400年前まででさえ、地球の3分の1は狩猟採集民、移動農耕民、遊牧民、独立の園耕民で占められてきた。世界史に大半を通じて、人々は国家(徴税)を拒否し、国家の空間を出入りし正業様式を切り替えることができた。国家ができてからも無国民は野蛮人として国家に編入されることを拒んだ。定住と非定住とのあいだには無数の中間形態がある。「野蛮人の大多数は、遅れたり取り残されたりした原始人ではなく、むしろ国家が誘発する貧困、課税、束縛、戦争を逃れて周縁地へ逃げてきた政治難民、経済難民だったことになる」(212)。「文明が野蛮を作り出す」(226、オーウェン・ラティモア)。今日の民族問題や植民地主義、国民統合といった問題を考える上で欠落している視点を教えてくれる。エンゲルスが読んだらさぞ面白がっただろう。

北条民雄『いのちの初夜』勉誠出版、2010年

有名なハンセン病文学。表題作以外にも療養所での子どもの生活や出産など、心が動かされる短編が収められている。

 

レン・フィッシャー『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?――群知能と意思決定の科学』松浦俊輔訳、白揚社、2012年
ゼミの仲村くんが教えてくれた一冊。集団として意思決定したり、行動したりするときにどのようなメカニズムが働くかということを様々な科学の領域を紹介しながら解き明かす。複雑性の研究によると、個体間の相互作用から群知能のような複雑な集団行動が現れ、全体が部分の総和より合理性を帯びる可能性があるという。

 

ジェイソン・スタンリー『ファシズムはどこからやってくるか』青土社、2020年

著者はイエール大学の哲学の研究者。「神話的優越性」「非合理主義」「非現実性」(陰謀理論)「プロパガンダ」といったファシズムの特徴を分析する。団結した抵抗の有効性をファシストは理解していて、だからこそ組合の解体を目論む。分断を食い止める防壁は、同じ階級に属する人たちの団結と共感だと主張する。

 

油井大三郎『避けられた戦争――一九二〇年代・日本の選択』ちくま新書、2020年
ベルサイユ会議、ワシントンとロンドンの軍縮会議など、外交の様々な局面で、日本にどのような選択肢がったのかをつぶさに検証している。対外政策の面から20年代の政友会や民政党の特徴の複雑な変化が分かりやすく描かれている。なかなか頭に入りにくい複雑な時代だが、とても勉強になる一冊。

 

沢木耕太郎『テロルの決算』文春文庫、2008年
山口二矢と浅沼稲次郎のそれぞれの生い立ちから、事件とその後までを描いている。山口のようなモンスターが生み出された経緯、生育環境がよく描かれている。社会党史としても面白い。

 

エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』岡本正明訳、みすず書房、1999年

アメリカの評論家ウィルソンによる19世紀前半からの社会思想史。フィンランド駅とはペテログラードにある駅。原著は1940年だが、このころすでにこのようなスターリン批判を含んだ優れた論評があった。

伊波普猷『沖縄歴史物語――日本の縮図』、『沖縄女性史』ともに平凡社ライブラリー​

(悪しき)「県民性を矯正するために、郷土史の研究を盛んにしてその真相を暴露することは、沖縄県民を救済する一方法でなければならない」(『女性史』303ページ)。郷土史によって県民を救済する。

霜多正次『沖縄島 上・下』新日本文庫、1977年

原著は1957年。同年の毎日図書文化賞受賞。三人の主人公を軸に戦後の沖縄の人々の葛藤を描く。戦後の独立論、復帰論のあらましが分かる。戦後の民主文学はパワーがあった。

吉田裕『日本軍兵士』中公新書、2017年

太平洋戦争をいくつかの段階に分けて、兵士の置かれた状況から戦争の内実に迫る。​

荒畑寒村『谷中村滅亡史』岩波文庫、城山三郎『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』角川文庫

大学で足尾銅山の見学会があったのでこの機会にと思い読んだ。

石牟礼道子『苦海浄土』講談社文庫

水俣病を題材にした有名な小説。「戦後日本文学第一の傑作」(池澤夏樹)といわれる理由は読めば分かる。

朴 慶植『朝鮮人強制連行の記録』未来社、1965年

絶版になって久しいようであるが、すべての日本人が読むべき本。

ジョン・ウィリアムズ『STONER』東江一紀訳、作品社、2014年

20世紀初めから第二次世界大戦後までミズーリ大学で英文学を教えていた教員ウィリアム・ストーナーという架空の人物の人生を描いた作品。一読してまるでその人生を活きたかのような感覚にさせる見事な小説。静かな物語の展開のなかに、2つの大戦とそれにはさまれた大恐慌の時期のアメリカの片田舎の大学の雰囲気や人々の生活ぶりが伝わる。もともとは60年代なかばに発表された作品が、最近再評価され翻訳に至ったそうだ。東江氏の翻訳もすばらしい。

 

 

オマル・エル=アッカド『アメリカン・ウォー 上・下』黒原敏行訳、新潮文庫、2017年

現在の資本主義のあり方に警鐘をならすヒューチャー・ヒストリー小説。主人公の少女サラ・チェスナットは、温暖化のために水面の上昇したアメリカ南部、ミシシッピ川のほとりで家族とともに暮らしている。化石燃料の使用を禁止する「持続可能な未来法」に反対する「自由南部諸州」(ルイジアナ、アーカンソー、ノースカロライナ、テネシー)が独立を求め2074年からアメリカ政府と交戦状態に入った(「第二次アメリカ南北戦争」)。戦争は長期化し、南部の戦闘はゲリラ化する。サラも武装組織に加わる。エジプト生まれの作者が描くのは今日のイラクやアフガニスタン、シリアと見紛うばかりの紛争地帯と化した南部アメリカである。主客転倒した世界を提示することによって、現在の中東での紛争がいかに耐え難いものであるかを告発している。きっかけが何であれ、ある国の存立する内部的な均衡が乱されたときに、その国の歴史がまったく非連続的な経路をたどり崩壊に至るというのはアメリカを含めどの国にも起こりうる。

フィリップ・ロス『プロット・アゲインスト・アメリカ』柴田元幸訳、集英社、2014年

歴史改変小説としては、ディック・フィリップ『高い城の男』、クリストファー・プリースト『双生児』によくにているが、こちらのほうがはるかに優れている。1940年の大統領選挙でローズヴェルトがリンドバーグに敗れていたら、たしかに世界史は大きく変わっていただろうなと思わせる。ニューディール政策を新自由主義的な保守派は批判するが、ニューディールとリベラル派の抵抗なしには世界は自由主義について語ることさえできなかっただろう。ロスは「日本でこの作品は出して欲しい」と切望したと集英社のサイトにはあるが、たしかにこれを読んでいまの日本と重ね合わせない人はいないだろう。

 

フィリップ・グランベール『ある秘密』野崎歓訳、新潮社、2005年

第二次世界大戦下、フランスでのユダヤ人弾圧のもとで、あるユダヤ人男女に起こった悲劇は戦後生まれた彼らの子どもには隠されていた。その子どもによってその秘密が解き明かされるという内容。レジスタンスでもなく対ナチ協力でもない視点が面白い。実話に基づいたものらしいが、小説に構成し直す方法は素晴らしい。著者は精神科医とのこと。
 

ディー・ブラウン『わが魂を聖地に埋めよ』 上・下、鈴木主税訳、草思社文庫、2013年、各1080円

アメリカ史には、ジャクソンニアン・デモクラシーと呼ばれる一時期が、そのジャクソン大統領は徹底したインディアンに対する迫害で知られ、インデアンは彼を「シャープ・ナイフ」と読んだ。本書は、イリノイ大学の図書館司書であった白人歴史家によるもので、ジャクソンの時代から1890年のウンデット・ニーの虐殺までのインディアン迫害史である。

 

J・M・クッツェー『恥辱』早川書房、2007年

大学教師と女子大生のセクハラの話しだというので読んでみたが、話しがどんどん広がって、個人の経験をとおしてポストコロニアリズム世界史像の断面というと大げさかも知れないが、まあそのような現実が描かれるという実にすごい作品。ノーベル賞をとったらしいが、わかる気がする。 

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社、2009年、1785円

日清、日露、第一次大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争の5つの戦争を最新の研究成果に基づいて説明する。著者は東大文学部の歴史学者。高校生向けの連続講義を本にしたものであり、語り口は見事。表題は「日本人は」であるが、むしろ「日本の政治的指導者たちは」というべき内容である。山県有朋がどのように外圧をとらえていたか、松岡洋右がいかに国連脱退に実は反対していたなどの記述はとくに興味深い。対米戦争に突入していく不可解な過程の説明はなるほどとうならせるものがある。

 

スティーブ・コール『石油の帝国――エクソンモービルとアメリカのスーパーパワー』森義雅訳、ダイヤモンド社、2014年 (Steve Coll, Private Empire: ExxonMobil and American Power, Penguin

著者は、1958年ワシントンDC生まれ。ワシントン・ポスト記者、ニューヨーカー誌を経て、コロンビア大学ジャーナリズム大学院学部長。90年にSECに関する報道および『アフガン諜報戦争――CIAの見えざる闘い、ソ連進行から9・11前夜まで』でピューリッツァー賞を2度受賞。本書の内容は、1989年のバルデュス号石油漏洩事件から2010年のBPメキシコ湾石油流出事件までのエクソンモービルの裏面史。書き方は取材対象者に対して敬意を表しつつも、内容的には石油産業の反社会的な実像を告発した批判的な研究。石油会社の存在があまりに大きいため、経営判断が破壊的なインパクトを世界に及ぼしているということがチャド、アチェ、赤道ギニアなどの事例でよく分かる。 ​

 

アンドルー・ファインスタイン『武器ビジネス――マネーと戦争の「最前線」』上・下、村上和久訳、原書房、2015年 (Andrew Feinstein, The Shadow World: Inside the Global Arms Trade, 2011, 2012, Penguin Books)

著者は、1964年、南ア・ケープタウン生まれ。カリフォルニア大学バークレー、ケンブリッジ大学でまなんだのち、南ア下院議員。南ア軍の武器購入をめぐる収賄事件の調査を止められたことに抗議し議員を辞職。その後イギリスで執筆活動。その後様々なNGOなどで活動。本書の内容は、ロッキード・マーティン、BAE、ボーイング、ノースロップ・グラマンKBR(Kellogg, Brown & Root)、ハリバートン、ブラックウォーターなど軍需産業の実態を描く。「武器取引は、表向きの世界と影の世界、政府と商業と犯罪行為の錯綜するネットワークであり、われわれをもっと安全にするどころか、たいていは貧しくする。そして、われわれのためではなく、自己の利益に奉仕する少数のエリートのために管理され、見たところ法律が及ばず、国家安全保障の秘密主義に守られ、誰にたいしても説明責任を負うことはない」(25)。国連の武器禁輸の「違反の申し立ては、502件調査されているが、われわれの知る限り、それがなんらかの法的責任につながった例は1件しかないし、その1件も無罪放免になっている」(24)。膨大な資料収集、大勢の大物武器ディーラーに対する直接の聞き取り調査によって事実を再構成。武器輸出大国のみならず、冷戦後の中国、旧東欧の武器輸出とアフリカその他の地域紛争の関わりを歴史的に解き明かしている。イスラエルがアメリカの出先であると同時に、アメリカが政治的に表面的に関与しにくい地域に武器輸出を行っている実態などはとくに興味深い。 ​

ジェイン・メイヤー『ダーク・マネー――巧妙に洗脳される米国民』伏見威蕃訳、東洋経済新報社、2017年

コーク兄弟、メロン財閥のリチャード・スケイフ、化学爆薬メーカーのジョン・M・オリンなど超富豪の財団を通じた保守イデオロギー運動がいかに成長し、共和党を乗っ取ったか、その経緯が詳しく書かれている。2008年の大統領選挙以降、2011年、2012年の財政上限をめぐる政府閉鎖、ウィスコンシン州の公務員労働組合に対する攻撃、州レベルでの保守法案の提出を促す立法運動、オバマケアに対する妨害、企業団体献金の無制限の容認に導いたシチズンズ・ユナイテッドの運動など、この間のアメリカ政治の重要問題の舞台裏がよく分かる。 ​

 

イーユン・リー『千年の祈り』篠森ゆりこ訳、新潮クレスト・ブックス、2007年

著者は、1972年生まれで、北京大学卒業後、渡米。アメリカで活動する作家。「不滅」という作品が素晴らしい。 ​

 

ケン・リュウ『紙の動物園』古沢嘉通訳、ハヤカワ文庫、2017年 ​

この人も中国生まれ、アメリカで活動するSF作家。表題作がとてもいい。 ​

 

チママンダ・ンゴス・アディーチェ『アメリカにいる、きみ』くぼたのぞみ訳、河出書房新社、2007年、

1977年ナイジェリア生まれでアメリカで暮らす女性作家。ポストコロニアリズム、地域紛争、ジェンダー、移民などの要素を驚くほど巧みに表現している。短編集でどの作品も優れている。

 

上原栄子『辻の華』時事通信社、1976年

沖縄那覇にある辻遊郭。そこに4歳のときに売られてやってきた筆者の半生が語られる。女だけで運営された少し変わった遊郭の大正時代から戦後までの様子が伝わる。

 
ルース・ベネディクト『菊と刀――日本文化の型』長谷川松治訳、講談社学術文庫、1313円
アメリカは、今のイラクやアフガニスタンに対するのとは異なり、第二次大戦中、占領を見据えて日本のことをよく研究していた。著者はコロンビア大学の文化人類学者。本書は米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、1946年に発表された。菊を愛でるような感受性を持つ日本人がなぜあのような血なまぐさい侵略戦争を引き起こしたかという根元的な問題に、日本文化の型という本質的なところから迫る。日本に滞在したことのないにもかかわらず、よくここまでと思わせるほど、その洞察力には目を見張るものがある。第一級の日本人論。
 
カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』鈴木主税訳、新潮OH!文庫、2000年、771円
著者はオランダの日本研究者。本書によれば、日本は政治責任の所在の曖昧な、支配中枢の欠如した特殊な構造をもつ社会である。そこでは、真の政治決断がなされることも、それが変更されることもない。「政治化された社会」等の概念で日本の構造に鋭く斬り込む。『菊と刀』に匹敵する名著と評すむきもある。原著は1994年。
山本茂実『あゝ野麦峠――ある製糸工女哀史』角川文庫、1977年、525円
映画になったので小説と思われているかも知れないが、ルポルタージュ風の研究書。日本の近代化の苦渋に満ちた過程を理解するためには、底辺の人びとの生活を知る必要がある。生糸は戦前日本の主要輸出品目で、それによる外貨によって日本は殖産興業、富国強兵を行った。日本の近代については高校までにあまり教わらないが、日清日露を勝ち抜いたことや、重化学工業化を進めたことを立派で良かったことと考える前に、ぜひ読んで頂きたい一冊。原著は1968年。
松本清張『日本の黒い霧』文春文庫
日本がアメリカに占領されていた頃、様々な不可思議な事件が起きた。掘り下げてみると占領者としての米国の都合、世界情勢の変化が投影され、真相解明を難しくしている。下山国鉄総裁謀殺論 白鳥事件 ラストヴォロフ事件 征服者とダイヤモンド 帝銀事件の謎 推理・松川事件。「謀略朝鮮戦争」は、清張さんは戦争の端緒がアメリカ側にあったとしているが、現在では北朝鮮から仕掛けた戦争であったことが分かっている。「革命を売る男・伊藤律」についても、その後の研究で、伊藤スパイ説が事実でないことが分かっている。このように歴史的な限界があることも頭に入れて読む必要があるが、それにしても読んでおいたほうがいい。下山事件のその後について興味のある人は、あわせて森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』新潮文庫、2006年、をも読まれたい。
 
姜在彦『日本による朝鮮支配の40年』朝日文庫、1992年、630円
韓国併合から一世紀。日本統治下の朝鮮の歴史について、多くの日本人はその内実に疎い。日露戦争後の統監政治、「併合」、光州学生運動から第二次大戦後まで、日本の朝鮮支配について知るべきことをわかりやすく説明した本。
 
吉村昭『総員起シ』文春文庫、1980年、530円
「そういんおこし」と読む。太平洋戦争中、日本の国内で起こったさまざまな陰惨な事件を題材にした作品集。腕のない死体が海岸に大量に打ち上げられた事件や、演習中の潜水艦の沈没事故など、ひとつひとつ丁寧に調べられた優れたルポルタージュである。
 
石川達三『生きている兵隊』中公文庫
南京事件の直後に現地での聞き取りをもとにかかれた作品。発禁処分になり、戦後、当初の伏せ字を起こして発表された。極限状態の兵士一人ひとりのおかれた心理状態がよく描かれている。
 
スティーヴン・グリーンブラット『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』河野純治訳、柏書房、2012年
中世ヨーロッパのキリスト教聖職者たちはエピクロス学派の哲学、思想、さらには文献をも抹殺しようとした。偶然にも散逸や廃棄をまぬかれたルクレティウスの『物の本質について』の写本が発掘され、その後、静かにエピクロス学派の思想が受け継がれる。近代を拓いた人文主義の合理的世界観の淵源を辿るとともに、その世界史的影響が見事に描かれている。私は昔からトマス・モアとマキャベリが同じ時期に生きながら(『ユートピア』と『君主論』はほぼ同時期に書かれている)、封建的社会状況に対して対称的な戦略をとったことを不思議に思っていたが、その両者とルクレティウスとの関係が本書の後半で相次いで説明される下りを読んで慄然とさせられた。ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』とならんで、私にとっての西洋哲学史の重要なテキスト。著者はハーバード大学の先生でシェークスピアの研究者。本書で全米図書賞とピュリッツァー賞を受賞。
 
デイビッド・モントゴメリー『土の文明史』片岡夏実訳、築地書館、2010年、2800円
様々な文明史をたどると、それらの長さが耕作による土壌浸食によって制約されてきたことがわかると著者はいう。耕作と人口集中による土壌浸食のスピードが土壌形成のそれを超えると文明は衰退する。メソポタミヤ、ローマ、ペルーの文明から、アメリカの西部開拓史、近代ヨーロッパの貧困など、壮大な歴史をその視点から解明する。現在の中国やアメリカの収奪農業と農薬依存がいかに現在の文明を危機に陥れるかを警告している。工業化された農業、商品化された土の問題は、現在の経済政策を考えるうえでも大事な要素である。
 
マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』奥村房夫、奥村大作訳、中公文庫、2010年、1048円
戦争と一口に言っても、歴史段階によってまったくその意味は異なる。兵器の技術体系、兵員の調達と軍隊組織、産業や通商の発展など大きな連関が実に巧みに描がかれている。近代までにその領土内と世界中の植民地をめぐって戦争に明け暮れたヨーロッパが、いかにして第2次大戦後に領土を固定したまま平和共存する道へと踏み出すに至ったのかがよくわかる。著者はロンドン大学の戦争史研究家。原著出版は1976年で、2009年に改訂されている。
 
川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書、1996年、780円         
「世界商品」という概念があり、茶や綿織物とならんで、砂糖も歴史を動かしてきた「世界商品」ということで、この身近なものがどのような経緯で生産され世界的に取引されてきたかという壮大な歴史をわかりやすく説明している。イギリスにはお茶を飲む習慣があるが、砂糖もお茶もイギリスではもちろん栽培されていない。それらは東半球と西半球を結びつけたイギリスの帝国主義的拡張の産物。近現代だけでなく今日の途上国の経済問題を理解する上でも勉強になる本。
 
角山栄『茶の世界史――緑茶の文化と紅茶の社会』中公新書、1980年、735円
お茶は明治のはじめまでは日本の主要な輸出品目であり、ヨーロッパで愛飲された。その後、どのように中国やインドで作られるようになったか、そしてその結果どのような貿易関係ができあがったかがよくわかる。『砂糖の世界史』が西半球を主に対象にしているのに対して、こちらは東半球のイギリスによる支配を描いているので、両方あわせて読むとなお良い。
 
ピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』東洋経済新報社、2100円
ゼミでテキストとして取り上げたこともある。私たちは普通、Tシャツがどこで生産された綿から、どこで加工され、自分の手元に届くか、またそれが古着となりどのように世界中で扱われているかを知らない。本書は、その全体像を実証的にたどったものである。数カ国語に翻訳され、世界中の大学で読まれているらしい。
 
武田知弘『税金は金持ちから取れ』金曜日、2012年、1365円
『週刊金曜日』連載の段階でゼミで取り上げたが、その後、著書として出版された。日本の歪んだ税体系の実態がよく分かる。
 
ジェフリー・ライマン,ポール・レイトン『金持ちはますます金持ちに 貧乏人は刑務所へ――アメリカ刑事司法制度失敗の実態』宮尾茂訳、花伝社、2011年、2500円
アメリカの刑事司法制度は犯罪を減らすという意味では失敗しているが、しかしそれ以上の利益を権力者にもたらすことによってその本来の目的を達成しているというのが本書のモチーフ。損害が大きく、得るものの少ない軍事的勝利を古代ギリシャの武将の名前から「ピュロスの勝利」と呼ぶそうであるが、それとは逆に、著者らは、刑事司法制度が犯罪を減らすことに敗北しつつも、社会システムを正当化することによって権力者を利するという意味において勝利しているとし、自らの議論を「ピュロス敗北理論」と呼ぶ。 
 
スティーヴン・ピムペア『民衆が語る貧困大国アメリカ--不自由で不平等な福祉小国の歴史』中野真紀子訳、明石書店、2011年
ハワード・ジン監修「民衆の歴史シリーズ」の一冊。著者は現在、Yeshiva College助教。「救貧院に暮らすとはどういうことか?人々がそのような過酷な境遇に身をおいたわけはなにか?なぜ自分の子供を孤児院や「孤児列車」に預けざるをえなかったのか?工業化が進んだ時代に職を求めて列車に乗り継ぎ米国を「浮浪」するのは、どんな体験だったか?今日、家族を養うために配給に頼り、通行人から遠慮のないさげすみの視線を浴びながら炊き出しの列に2時間も並び、後ろに並ぶ大勢の人たちに気がねして急いで食べ物をかきこむということはどういうものか?スーパーのレジでフードスタンプを差し出したとたん、うしろの人があなたのかごをのぞきこみ、買い物が妥当かどうかを見定めるとき、どんな気持ちがするだろうか?貧しい人々がそのような侮蔑に直面したときに尊厳を守るためにどんな方法を使ってきたか?」
 
水木楊『エコノミスト三国志――戦後経済を創った男たち』文春文庫,1999年,533円
戦後日本の経済政策の形成過程をドキュメンタリー風に追いかけた見事な一冊。
 
ステファニー・クック『原子力 その隠蔽された真実 人の手に負えない核エネルギーの70年史』藤井留美訳、飛鳥新社、2011年
核開発から現在までこの問題に関するいろんなエピソードが含まれている。
 
広瀬隆『原子炉時限爆弾』ダイヤモンド社、2010年、1575円
恐るべき本。大震災の前に出版されたが、まるでその後の事態を見てきて、過去に戻って書いたような本。いろんな人に薦めて読んでもらったが、みなさんもそのようにいう。かつてチェルノブイリ事故の後に、広瀬さんの『東京に原発を』を読んだときにも同じように感じた。それもチェルノブイリ前に書かれたものであった。
ドイッチャー『ロシア革命五十年――未完の革命』岩波新書、1967年
1967年、ドイッチャーは、ケンブリッジ大学でロシア革命五十周年を記念して「未完の革命」と題する講義をおこなった。ロシア革命を今も進行中の「全人類を包含する社会革命の一部」ととらえ社会主義の未来を展望した。「冷戦とは階級闘争の堕落した形態である」というのは20世紀を射抜く名言であると私は思った。
 
クリビツキー『スターリン時代』みすず書房、1987年
クリビツキーはスターリンの秘書で、アメリカへ亡命して暗殺された人物。いわば内部告発の暴露本である。ヒトラーのドイツ、内戦のスペインに対してスターリンはどのように対応したか、また粛清が実際にどのように進められていったかということも詳しく書かれている。スターリンのテロルの結果、革命をおこなった主体であるボルシェビキのほとんどが絶滅してしまった。
 
ソルジェニーツィン『イワン・デニーソビッチの一日』新潮文庫、1963年、640円
文字どおり朝5時にたたき起こされて夜寝るまでの収容所生活の、主人公にとっては比較的ましな一日。その一日に当時のソヴィエトの社会すべてを投影させた見事な作品。
ポール・ラファルグ『怠ける権利』田淵晋也訳、平凡社ライブラリー、2008年
著者はマルクスの娘婿。かなり独創的な社会主義だったようで、マルクスともちがう社会主義へのアプローチが示されている。資本主義が実現する高い生産力のもとでは、完全雇用は必要でも可能でもなく、むしろ働かないことの正当性を主張している。今日のベーシックインカムの主張に繋がる思想的意味があるので、これからますます再評価されると思うが、どうだろうか。
 

宮本憲一『増補版 日本の地方自治――その歴史と未来』(自治体研究社、2016年)

明治中期の地方自治制の発足から今日までを概観し、地方自治の制度の変遷、時代ごとの論点を分かりやすく解き明かすとともに、地方自治の発展に寄与した様々な人物や思想、研究成果を紹介している。とくに町村合併、税源移譲、自治体の独立性といった今日私たちが直面する問題が歴史のなかで繰り返し現れてきたこと、戦後の憲法のもとでの「地方自治の本旨」がどのように解釈されてきたかといったこと、ヨーロッパの分権化と日本のそれとがどのように異なるかといったそもそも論など、私たちが地方の問題を議論するうえで理解しておくべき重要なことがらを丁寧に説明している。とくに興味深く感じたのは、戦後の革新自治体の総括として著者が指摘している二つの論点である。一つは、当時、革新自治体は「シビルミニマム論」(市民的最低限の保障)ということで中小企業を保護したが、そこには産業政策と財政政策が欠落していたという問題、第二には、革新自治体が成熟した住民参加の制度を作ることができなかったという問題があった。 ​

 

小坂井敏晶『社会心理学講義――〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉』筑摩書房、2013年、1900円

「認知不協和理論」や「アイヒマン実験」など興味深い話題を柱に社会心理学の現状を説明している。強制や差別を受け容れ内面化する論理とはどういうものか、個人主義的な人が従属的で社会的な人が反社会的・批判的であるなど、じつに頭の体操になる。

黒岩比佐子『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』講談社、2010年、2520円
堺利彦は『萬朝報』時代の非戦論、平民新聞、共産党の創設者の一人として有名であるが、彼の大逆事件後に作った「売文社」という変わった名前の会社を柱にした評伝である。日本に社会主義を紹介し、その運動を組織する黎明期にあってひときわ光彩を放つのが堺であるが、あらためて彼の優しさと意志の強さに感銘を受ける。「社会主義はインテリの道楽。しかしそれは命がけの道楽」と述べたという。私自身はとくに「労農派」に対する見方が大きく変わった。
ジャック・ロンドン『荒野の叫び』各種文庫版
ゴールドラッシュの時代、アラスカでソリを引かせるために犬が必要とされた。お金持ちのお屋敷でぬくぬく飼われていた犬が、一転、過酷な状況におかれ、生きるために苦闘する。
 
ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』上・下、新潮文庫、1939年
1930年代のアメリカ大不況は同時に深刻な農業不況を伴うものであった。この物語はオクラホマで土地を失いカリフォルニアに移住する一家族の苦闘を描いた小説。社会制度の歪みを痛烈に告発した30年代の最高傑作であり、スタインベックの代表作。
 
アーサー・ミラー『セールスマンの死』早川文庫、1949年
セールスマンのウイリー・ローマンを通して現代人の孤独、疎外を描いた名作。ピュリッツァー賞受賞作
ジェラルディン・ブルックス『マーチ家の父―もうひとつの若草物語』高山真由美訳、ランダムハウスジャパン、2010年
ブルックスはオーストラリア人だが、おもにアメリカにすんでいるそうなので一応アメリカの作家に入れた。『若草物語』の少女たちの父は何をしていたかという設定の物語。妻と四人の娘を残し従軍牧師として北軍に加わったマーチは、激戦の合間に立ち寄ったヴァージニア州のとある農園を見て、以前ここに来たことがあるのに気づいた。20年前の春、若き行商人として訪れて長逗留したことがあり、それは美しく気高い奴隷女性グレイスとの出会いの時であり、また奴隷制度の残酷さを目の当たりにした日々でもあった。2006年ピューリッツアー賞。最近文庫になった。
 
カズオ・イシグロ『日の名残り』土屋政雄訳、ハヤカワ文庫、2001年
イシグロは子どもの頃にイギリスに移住した日系イギリス人。原題はThe Remains of the Day。短い旅に出た老執事が、美しい田園風景のなか古き佳き時代を回想する。ナチスが台頭しつつあるヨーロッパの片隅で繰り広げられる外交。その中で貴族に仕える執事の姿を描く。伝統的なイギリス社会に対するノスタルジー、執事という職業にまつわる尊厳や屈辱、礼節や恋愛といったいろいろなテーマが盛り込まれている。ブッカー賞受賞作。
 
カルロス・ルイス・サフォン『風の影』上・下、木村裕美訳、集英社文庫、2006年
サフォンはスペインの生まれ。世界各国で読まれたベストセラー小説。1945年バルセロナ。霧深い夏の朝、少年ダニエルは父親に連れて行かれた「忘れられた本の墓場」で1冊の本に出会った。謎の作家、都市の迷宮。スペイン内戦の影を引きずったバルセロナのなんともいえない雰囲気が伝わる。歴史、冒険、ロマンスあふれる一冊。
 
トム・ロブ・スミス『チャイルド44』上・下、田口俊樹訳、新潮文庫、2008年
スミスはイギリスの若い作家。若いにもかかわらず、スターリン体制下のソ連の特徴をうまく小説の背景にしていると思う。国家保安省の敏腕捜査官レオ・デミドフは、あるスパイ容疑者の拘束に成功する。だが、この機に乗じた狡猾な副官の計略にはまり、妻ともども片田舎の民警へと追放される。そこで発見された惨殺体の状況は、かつて彼が事故と遺族を説得した少年の遺体に酷似していた…。ソ連に実在した大量殺人犯に着想を得て、世界を震撼させた作品。続編の『グラーグ57』『エージェント6』も面白い。
 
ジョン・クラウワー『荒野へ』佐宗鈴夫訳、集英社文庫、2007年、667円
大学での有望な若者がなぜかアラスカの荒野でひとり孤独に死亡するという事件を著者が追う。若者が辿った足跡、最後に暮らしたスクラップのバス、残された手記などを手がかりに若者の心の奇跡を探る。一種の登山文学であるが、文書が実に奥深い。できればジャック・ロンドンの『荒野の叫び』を読んでから読んでほしい。
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』河出書房新社、2017年
よく人間を観察していて学ぶところが多い。
ティム・ワイナー『CIA秘録――その誕生から今日まで 上・下』藤田博司他訳、文春文庫、2010年
アメリカの外交を知る上で重要なレポート。
 
フランス・ドゥ・ヴァール『共感の時代へ――動物行動学が教えてくれること』柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2010年
著者はオランダ生まれで、アメリカの動物園でチンパンジーを研究している。動物学者たちがカントやロールズを読み研究しているのには驚かされる。
井上理津子『さいごの色街 飛田』筑摩書房、2011年
私は大阪生まれだが、大阪について何も知らなかったということを思い知らされた一冊。
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